“つらいヴィーガン”は続かない。だから私は『おおむねで』生きてます

ヴィーガン淑女
ヴィーガン淑女

アラカン紳士さん、昨日つい焼き鳥を食べてしまいましたの。
駅前の屋台で、香ばしいにおいにつられて…。
帰宅してから“またやってしまった”って、自己嫌悪で眠れなくて。

アラカン紳士
アラカン紳士

ほほう、それは実に人間らしい選択ですな。
私など、先週カツ丼の誘惑に敗れましたぞ。
お肉の香りには、だれしも弱いもの。責めることはございません。

ヴィーガン淑女
ヴィーガン淑女

それだけならまだしも、ご婦人方との外食のたびに気を遣ってしまって…。
『また別メニュー頼むの?』なんて言われて、場がしらけてしまいましたの。

アラカン紳士
アラカン紳士

ふむ、それもまたおありでしょうな。
ですがね、辛さを背負いすぎると続かなくなりますぞ。
人生もヴィーガンも、“おおむね”で上出来なのです。

目次

  1. はじめに 「完璧じゃなくても、ちゃんとやさしく生きられる」
  2. 「つらい」は、続かない。だから“おおむね”でいい
  3. がんばりすぎる私たちに「完璧じゃなくていい」と言ってあげたい
  4. 「おおむねヴィーガン」というやさしい選択
  5. 続けられることが、いちばんやさしい
  6. 体と心で感じた、変化と気づき
  7. 家族との関係も“ゆるやかさ”で変わる
  8. 年齢を重ねて気づいた、“おおむね”の豊かさ
  9. よくある質問|「おおむねヴィーガン」って、これでもいいの?
  10. おわりに|おおむね、でいい日々を

はじめに 「完璧じゃなくても、ちゃんとやさしく生きられる」

ヴィーガンを始めてみたけれど、思ったより難しい。
つい、ジャンクフードの誘惑に負けてしまう。
外食では「それ、食べられるの?」と聞かれて答えに詰まる。

私も、気づけばヴィーガン生活そのものが、ストレスになっていました。

でも、ある日ふと思ったんです。
「こんなにつらいのに、続けられるわけないよね」
って

そこからは肩の力が抜けました。
完璧じゃなくていい。
おおむねできていれば、充分。

そんなふうに「おおむねヴィーガン」という考え方に至ってから、
暮らしが、そして心がずいぶん軽くなったんです。

この記事では、「ヴィーガンも、人生も、おおむねでいい」という考え方について、
私自身の体験を交えながら、お伝えしていきます。

この記事で分かること
  • 「おおむねヴィーガン」とはどんな考え方か
  • 辛いヴィーガン生活が続かない理由
  • おおむねヴィーガンを無理なく続けるコツ
  • 家族や友人との関係もやさしくなるヒント
  • 自分を責めずに選ぶ“やさしい食事”のすすめ

「つらい」は、続かない。だから“おおむね”でいい

私の食生活が大きく変わったのは、ある出来事がきっかけでした。
それは、人生観すら変わるような体験だったのです。
そこから、ゆるやかで確かな選択が始まりました。

でもその決心はすぐに揺らぎます…

始まりは「がん」との出会いから

私が食生活を見直し始めたのは、がんの治療を経験してからでした。

 薬を減らしたい
 もう2度とがんになりたくない
 体の声に耳をすませたい
そんな思いから、自然とヴィーガンの情報に触れるようになりました。

最初は本やSNSを見て、「これだ!」と勢いよく始めました。
でもすぐに壁にぶつかりました。

「お肉の味が、やっぱり好き」

買い物に行けば、お肉コーナーが呼んでくる。
家族が焼いたソーセージの匂いに、つい手が伸びそうになる。

「私はダメだなあ」と、そんな自分を責めてしまったこともありました。

外食は「気まずさ」との戦い

友人との外食は、楽しみなはずなのに、
ヴィーガンを意識し始めた途端、ちょっとした緊張の時間になりました。
 これ、食べられる?
 また別メニュー頼むの?
そんな言葉に、悪気がないと分かっていても心がざわつきます。

誰にも迷惑をかけたくない、でも、自分の選択も大切にしたい。
その狭間で、毎回ちいさな葛藤がありました。

「これじゃ続かない」と気づいたとき

ある日、帰宅して落ち込んでしまったのです。
「なんで私、こんなに苦しんでるんだろう?」って。

そのとき、ようやく自分にこう言えました。

つらいなら、続かなくて当たり前だよ

そこから、「完璧じゃなくていい。できるときだけでいい
そんな風にゆるめたら、不思議といろんなことがうまくいき始めたんです。

100点じゃなくて良い、70点、いや時には60点でも十分ではないか

たとえ今日は動物性のものを食べてしまっても、
明日は一皿をサラダに変えてみよう。

そうやって少しずつ、私のヴィーガン生活は“おおむね”になっていきました

がんばりすぎる私たちに「完璧じゃなくていい」と言ってあげたい

真面目で一生懸命な人ほど、「こうあるべき」に縛られがちです。
でも、本当はもっと力を抜いてもいいし、自分を許してもいい
そんなふうに思えるようになったのは、
「ちゃんとしなきゃ」が習慣になっていることに気づいたときでした。

「ちゃんとしなきゃ」がクセになってる?

アラカン世代の私たちって、つい“きちんと”したくなりませんか?
食事も掃除も人付き合いも、「こうあるべき」で動いてしまう。

ヴィーガンを始めたときもそうでした。
どうせやるなら完璧に。動物性ゼロ、パッケージも環境配慮。
気づけば、息を詰めながらスーパーの棚を見つめていました。

でもね、それってすごく疲れるんです。

まじめでやさしい人ほど、つらくなる

きっとこれは、真面目でやさしい人ほど感じる苦しさです。
「知らなかった頃には戻れない」って思うから、余計に頑張っちゃう。

でもそれで疲れ果ててしまっては、本末転倒です。
やさしさを選んでいるはずなのに、
自分自身に優しくできていなかったりするんです。

「がんばらないと価値がない」は、手放していい

若い頃から、「努力が美徳」と育てられてきた私たち。
でも本当は、がんばらなくても価値がある。
手を抜いたって、休んだって、誰かの笑顔の理由になれている。

ヴィーガンもそうです。
100点じゃなくても、じゅうぶんやさしい。

「今日はラクしよう」って思える日が増えるほど、
心の中に、ちゃんとやさしさが積み重なっていきます。

“おおむね”は、やさしさの始まり

完璧を目指して、自分を責めるよりも
おおむねうまくいっている日々を、よしとしてみませんか?

ヴィーガンも、人生も。
7割くらいでじゅうぶん立派。

あなたが続けていること自体が、すでにやさしさです。

📝 コラム

日本人と“きっちり”の文化史

日本には昔から、「几帳面さ」を美徳とする文化があります。
たとえば江戸時代、商人の間では「帳簿の線が曲がると信用を失う」と言われていました。
おにぎりの角をピシッと立てる、靴を揃える、ふすまをピタリと閉める…。
“ちゃんと感”は、暮らしの隅々に息づいています。

これは日本の「共同体で調和する」価値観から来ているもの。
周囲に迷惑をかけないことが第一とされてきた時代背景があるのです。

でも、現代のライフスタイルではその“きっちり”が、
ときに自分自身を縛る枷になることも。

ヴィーガン生活にもこの傾向は出やすく、
「ちゃんとやらないと」という思いが強くなりすぎると、疲れてしまいます。

たまには、“ピシッと”じゃなくて“ふわっ”といきましょう。
完璧じゃないのも、日本的で、愛おしい。

「おおむねヴィーガン」というやさしい選択

“ヴィーガン”と聞くと、厳格でストイックな印象を持たれることが多いかもしれません。
でも実際には、そこまできっちりやらなくても、やさしさは届けられるのです。

自分にも、地球にも、そして周りの人にも。
その思いが形になったのが、私にとっての「おおむねヴィーガン」という暮らし方でした。

ここからは、その考え方と実践についてご紹介します。

100点じゃなくても、ちゃんとやさしくなれる

「ヴィーガンをやるなら、完璧じゃなきゃ意味がない」
そう思っていた時期がありました。

でも現実はどうでしょう?
旅先の食事で、どうしても避けられない動物性の食材。
家族との食卓で、唐揚げが並んだときの気まずさ。
そしてなにより、「疲れて、何も作りたくない日」。

そんな日も、生きていればあります。

だから私は、完璧をやめて「おおむね」にしました。

おおむねヴィーガン=ゆるさの中にある誠実さ

おおむねヴィーガンという考え方は、
「できるだけ動物性を避ける。でも無理はしない」というスタンス。

たとえば
 外食で「肉以外ならなんでもOK」のときは、魚を選ぶ
 チーズがどうしても食べたくなったら、ありがたく味わう
 家族のメニューに合わせて、主菜だけ別にしてみる
これは妥協ではなく、“続けるための工夫”です。

一度きりの完璧より、
10年続く「おおむね」の方が、よほど意味があると思っています。

“おおむね”は習慣になる

最初は迷いながらだったおおむねヴィーガン生活も、
半年、1年と続けていくうちに、自然と「日常」になっていきました。

 朝は果物と豆乳ヨーグルト
 ランチは雑穀入りのサラダボウル
 夕食は家族と同じメニューで、私はお肉を抜いてアボカドをプラス

100点じゃないけど、やさしい選択は確実に積み重なっていきます。

📝 コラム

“ヴィーガン”の定義、実は国によって違う?

「ヴィーガン=動物性すべてNG」という印象が強いですが、
実は国や団体によってその定義は少しずつ異なります

例えばイギリスのThe Vegan Societyは「動物の搾取を最小限にする生き方」と定義しています。
完全に排除するというより、“できるだけ避ける”が前提です。

一方、アメリカでは食事中心の「プラントベース(植物中心)」が普及し、
日用品までは気にしないという人も増えています。

つまり、ヴィーガンは”オーダーメイドのライフスタイル”であって、
誰かと比べるものではないということ。

私は私のやり方でいい」──その感覚を持つことが、
実は一番ヴィーガンらしいことかもしれません。

続けられることが、いちばんやさしい

どんなに自然体でヴィーガンを続けていても、
ときには迷いや例外が訪れます。
特別な日、特別な人との食事──それをどう受けとめるかで、
おおむねヴィーガンはもっとやさしくなれる気がするのです。

「今日だけ特別」は、責めなくていい

おおむねヴィーガンを始めてから、いちばん大事にしているのは
 続けられるやり方でいよう
ということ。

たとえば、娘のお祝いでフレンチレストランに行ったとき。
前菜に生ハムが出てきて、正直ちょっと悩みました。

でも、せっかくの楽しい場です。
その日は「特別な日だから、今日はいい」と決めて、
笑って食事を楽しみました。

罪悪感は? ほんの少しだけ。
でも、それ以上に「楽しかった」という満足感が残りました。

そういう経験も含めて、“私のやさしさ”にしていいと思っています。

自分に合った「おおむねルール」を持つ

おおむねヴィーガンには、決まったルールがありません。
だからこそ、自分だけの“ゆるルール”があるとラクになります。

たとえば、私のルールはこんな感じ:

  • 自宅では基本ヴィーガン
  • やむを得ずもらった動物性のものはありがたくいただく
  • 旅行や外食では「できるだけ植物性」を心がける程度
  • 友人と食事するときはあまり気にしない
  • 食べたあとは、「美味しかった」にフォーカスする

このルールは、変えてもいいし、途中で休んでもいい。
でも、不思議なことに、やさしく決めたルールほど長続きするんです。

「無理しない」は、ちゃんと力になる

ヴィーガンに限らず、健康法も美容法もダイエットも、
 無理しないこと
が実は一番難しかったりします。

けれど、“無理しない”って、決してあきらめじゃないんです。
どんな人だって、全力でフルマラソンは走られません

大切なのは、自分を信じてあげる力。
ペースを大事にする勇気。
そして「今日できたこと」をちゃんと認めてあげるやさしさ。

おおむねヴィーガンは、頑張るためじゃなくて、心地よく暮らすためのスタイル。
毎日ちょっとずつ、「やさしい選択」が積み重なっていけば、それで充分。

体と心で感じた、変化と気づき

食べものを変えることで、体がどう変わるのか。
最初は半信半疑でしたが、少しずつ確かな変化を感じるようになりました。
きっかけは、ある病気との出会い。
そこから私の「おおむねヴィーガン」が本格的に始まりました。

がんをきっかけに、食べ方を見直した

私は数年前、がんを経験しました。
手術や治療を経て退院したとき、最初に感じたのは不安と虚脱感。
 薬を飲み続けて、この先も同じ生活を続けていくのかな
そんな思いが頭をよぎりました。

そこから少しずつ、日々の食べものや暮らしを見直すようになりました。
でも、何かを一気にやめたり、制限したわけではありません。
ゆるやかに、でも確実に、「おおむねヴィーガン」という選択を自分の軸に据えていったのです。

少しずつ変えただけ。でも、確実に変わっていった

肉や魚を少し控え、乳製品を減らし、豆・雑穀・野菜を中心とした食事に。
そんな「できる範囲」での変化を続けて半年ほど経ったころ、
検診の数値が大きく改善されました。

炎症の数値が安定し、肝臓や腎臓の数値も正常に
何より、朝すっきりと起きられるようになったことがうれしかった。
体が軽く、頭がクリアになり、気持ちまで前向きになっていったのです。

「これでいいんだ」
「ちゃんと応えてくれてるんだ」
そんな実感が、自然と自信になっていきました。

今、薬も飲まず、体は絶好調です

現在、私は60歳が近づいています。
けれど、おかげさまで一切の薬を飲んでいません
血圧もコレステロールもすべて正常。関節の不調も、倦怠感もありません。

それどころか、若い友人たちと一緒にスポーツを楽しんでいます。
今はハワイでのロードレースに向けてトレーニング中です。
走って、笑って、筋肉痛に苦笑いしながらも、
やりたいことを、最高の体調で楽しめている」という実感があります。

これは、完璧なヴィーガン生活をしているからではありません。
「おおむね」でも、十分に体は変わる。
むしろ無理がない分、続けやすく、自然と“自分のペース”が保てています。

やさしさは、続けられることの中にある

食事を整え、体が変わり、心が整うと、
「自分をちゃんと大事にしてるな」と思えるようになります。

それは誰かに褒められるためでも、
正しさを証明するためでもなく、
自分自身との信頼関係を深めることなのだと思います。

おおむねヴィーガンは、がんばらなくてもいい。
でも、その“ゆるやかな誠実さ”が、確かに生き方を変えてくれました。

家族との関係も“ゆるやかさ”で変わる

どんなに自分の中で納得して選んだことでも、
家族との価値観に違いがあると、戸惑うことも出てきます。

それでも、ゆるやかに伝え、続けていくうちに、
少しずつ関係も、食卓の風景も変わっていきました。

「変えること」と「巻き込むこと」は違う

ヴィーガンやおおむねヴィーガンを始めるとき、
いちばん気になるのは家族との食事かもしれません。
でも私の場合、ありがたいことに妻がもともと肉が苦手だったので、
大きな抵抗はありませんでした。

動物性を控えることも自然に受け入れてくれて、
食卓から肉料理が少しずつ減っていきました。

ただ、問題は娘でした。
娘は典型的な肉食系で、揚げ物や焼き肉が大好き。
そのため、妻は娘の好みに合わせながら
どうやってバランスの取れた食事を用意するか、
少し苦労していたようです。

食材を選ぶという、見えないハードル

もうひとつ大変だったのは、食材の調達です。

近所のスーパーでは手に入りにくい植物性の代替品や、
無添加・無動物性の調味料などを探すには、
ネット注文や専門店を利用することも必要でした。

それでも妻は、少しずつ工夫して、
肉の代わりに大豆ミートや厚揚げを使ったり、
チーズの代わりにナッツや豆乳ベースのソースを試したりと、
前向きに対応してくれました。

そんなふうに、無理をしすぎず、でも少し頑張るという姿勢に、
私はただ感謝するばかりでした。

“伝える”よりも、“共に続ける”こと

私が「おおむねヴィーガン」という形を選んだことで、
家族にも大きな負担をかけずに済みました。
完全な切り替えではなく、できる範囲で取り入れる
このやり方がちょうどよかったのだと思います。

今では、娘も「お肉がない日もけっこうイケるね」と言ってくれるようになりました。
肉料理がゼロになったわけではありませんが、
食卓の中に、自然と植物性の選択肢が増えてきました。

何よりも大切にしているのは、強制しないこと
そして、自分の体調が良くなっていることを、
言葉ではなく日々の姿で見せていくこと。

私が元気で動けて、楽しそうに暮らしていれば、
それがいちばんの説得力になると感じています。

年齢を重ねて気づいた、“おおむね”の豊かさ

年齢を重ねるにつれて、こだわりよりも心地よさを大切にしたくなってきました。
何が正しいかよりも、どんなふうに生きたいか。
そんな視点で日々を見直してみると、思いがけず豊かな気づきが増えてきます。
その変化は、いつの間にか始まっていました。

若い頃は、白黒ではっきりさせたかった

振り返ってみると、30代、40代の私は、
 やるからには徹底的に
 正しいことを選ばなくちゃ

と、どこか一直線な考え方にとらわれていました。

食事も仕事も人間関係も、
きちんとしていないと“失敗”のように思えていたのです。

でも年齢を重ね、がんを経験し、
日常のありがたみを深く感じるようになってから、
物事の“ゆらぎ”や“曖昧さ”を受け入れられるようになりました

それが、私にとってのおおむねヴィーガンの原点かもしれません。

完璧じゃないからこそ、続けられる優しさがある

今では、食事の内容をすべて説明しようとは思いません。
体調が良ければそれでいいし、
ときどき肉を食べたとしても、
誰にも言い訳する必要はありません

60歳を目前にした今、
私は自分の選択に迷いがありません。

若い友人たちとスポーツを楽しみ、
好きな音楽を聴き、
疲れたら早く寝て、また元気に朝を迎える。

そんな“なんでもない毎日”が、
かけがえのない喜びになっています。

自分のリズムで生きるという選択

おおむねヴィーガンという生き方は、
食の話に見えて、実は人生の話でもあります。

誰かと比べる必要はない。
自分に合ったリズム、自分が心地よいと感じる方向を選んでいけばいい。

“おおむねでいい”という考え方は、
肩の力を抜いて、人生を楽しむための
小さな知恵でもあるのです。

よくある質問|「おおむねヴィーガン」って、これでもいいの?

チーズや卵を時々食べてしまいます。それでも“おおむねヴィーガン”って言えるんですか?
もちろんです。
おおむねヴィーガンは「完璧にやらなければいけない」という考えから自由になること。
ときどき動物性食品を食べても、それ以外の選択がやさしければ、じゅうぶん意味があります。
大切なのは、自分のペースで続けていくことです。
外食のときに、どうしても動物性の料理しかない場合は?
無理をしなくて大丈夫です。
外食は「楽しむ時間」。食べられる範囲で選び、感謝していただきましょう。
「次の食事で調整しようかな」くらいの感覚でOK。
大切なのは、その一回でやめないこと。長い目で見れば“おおむね”で続いていれば充分です。
家族や友人に「中途半端だね」と言われたらどうしたらいい?
そう言われると少し傷つきますよね。
でも、誰かの基準に自分を合わせる必要はありません。
完璧じゃないからこそ、周りとやさしく関われるという強みもあります。
あなたの選択は、あなたの体と心を大切にするものです。
その軸がぶれなければ、十分に誇れる生き方です。
ヴィーガンというには“甘い”気がして、名乗っていいか迷います
「ヴィーガンです」と名乗らなくても構いません。
あなたが動物や地球、自分の体にやさしい選択をしているなら、それで十分。
言葉より行動が、静かに周囲に伝わっていきます。
Q5. 栄養バランスはちゃんと取れるのでしょうか?
植物性の食事でも、意識して組み合わせれば栄養はしっかり摂れます。
豆類、穀物、野菜、ナッツ、果物など、幅広い食材を取り入れることが大切です。
おおむねヴィーガンは「絶対に抜く」ではなく「できるだけ整える」スタンス。
不足を恐れるより、少しずつ足していく感覚を持つと自然に整ってきます。

おわりに|おおむね、でいい日々を

 ヴィーガンになりたいけど、完璧にはできない
 お肉が食べたくなる日もある
 外食や家族との食事が、プレッシャーに感じてしまう

そんな悩みを抱える人にこそ、伝えたいことがあります。

つらい選択は、続きません。
我慢や罪悪感の中で生きるのは、どこか不自然です。
だから私は、「おおむねヴィーガン」という形に落ち着きました

がんを経験し、薬をやめ、食生活を少しずつ整えてきた結果、
今では薬も飲まずに元気に動けています。
60歳を前にして、若い仲間たちとスポーツを楽しむ日々。
これは、自分の体と心を「やさしく扱ってきた」結果だと実感しています。

完璧である必要はありません。
迷っても、揺れても、途中で戻っても大丈夫。
やさしい選択は、今日、ここからでも始められます。

まずはひとつ。
いつもの食卓に、植物性の料理を1品加えてみる。
それだけで、十分に立派な一歩です。

おおむねでいい
そう思えるようになると、
人生そのものが、少しだけ軽く、やさしくなる気がしています。

あなた自身のペースで、
あなた自身の「おおむねヴィーガンライフ」を育てていってください。